
CPU設計をしたかったのでセイコーエプソンに就職しました。入社試験の為の前泊(長野県諏訪市)で到着したその日の夕方に群馬県(第一報で長野県)の御巣鷹山に JAL123 便が墜落しました。九尾の狐が頭をよぎりとても幸先悪く感じました。

PC Engine

初めて従事した業務はゲーム機用の 8bit CPU の設計でした。ファミコンの CPU の起源である Mostek 6502 の基本命令セットに、MMU その他のハードウェア用命令を追加しています。内部に RISC CPU的な μROM シーケンサを備えることで、PLA による難解な命令デコードを回避しています。21MHz 3相 NRZ のクロックで当時としては高速な 8bit CPU でした。
製品の発起人は北海道のハドソンで、チップセットをエプソン、製品を NEC ホームエレクトロニクスが担当しました。CPU を設計したのは先輩の宮山主任(27)と私(25)の2名でした。先輩からは回路設計や特許の書き方など多くを学びました。
MacPlus 購入を機に興味の対象は大きくソフトウェアに移りプログラマーに転身しました。元々ビデオゲームが嫌いなのですが、後輩や友人が有害(※)であるビデオゲームに嵌ってしまい学業不審で退学を余儀なくされて以来、ビデオゲームを忌避していました。
※)ビデオゲームは人の知覚をおかしくするので原則的に全て有害であると考えます。例外的に有害有益なのが極僅かあるとは思いますが、ビデオゲームのほとんどが有害無益だと考えます。経済を優先し誰も害を訴えないことをとても情けなく思います。
特許

東京での最後の会社に入社する前の無職の時期に前職での特許の報奨金(20万円ほど)をいただき助かったことがあります。PC Engine の CPU開発のチーフであった宮山主任から依頼された特許代筆のお陰だったりします。
宮山さん、どうも有難うございました🙏
DEC

今は亡いとても優れたミニコン(※)メーカーで、Windows NT の直接の始祖です。マシンルームには巨大な VAX8550 が鎮座していましたが、全く興味はなかったので触ったことはありませんでした。
※)大型汎用機 > ミニコン > UNIXワークステーション
Apollo Computer

今は亡いとても優れた CAD用コンピュータメーカーで、Domain OS(UNIX ライクな POSIX 準拠の Aegis)を特徴としていました。先輩が DN10000 を操作するところを見たことがありました。
Sun Microsystems
今は亡い優れた BSD UNIX 機のメーカーで、Berkeley で UNIX に TCP/IP を組み込んだ Bill Joy らを擁する卓越した技術集団で、macOS の事実上の始祖です。
4.2 BSD の SunOS の /etc ディレクトリのファイル眺めていたら誰から教わるともなく起動時の動きが分かったので色々試し UNIX に慣れました。

当時の SunOS のウィンドウシステムは SunView でしたがボタンのトラッキングもない、Xerox Star や Mac にも劣る悲しいものでした。1千万円近くする Sun3 や 2〜3千万円する Sun4 の振る舞いより自宅の MacPlus の方が勝っていました。

X Window System 完成前夜の UI では、直ぐに落ちる酷い品質の MacOS の UI が最も使い易かったと思います。X Window System は X11R2 をもってかなりの完成度になりました。当時 Windows や X Window System の開発用ドキュメント中の関数名や機能から 旧MacOS を模倣していることがうかがえました。
Apple と Digital Research

他にも CP/M(Digital Reaseach)には GEM(Graphics Environment Manager)という GUI 環境があり、その上では Ventura Publisher という極初期の DTP ソフトウェアが動作していました。
Page Maker が未成熟だった当時、Apple は Ventura Publisher が CP/M 上で動くのを好ましく思って居なかったことでしょう。次期 macOS のニックネームが Ventura との報道を受け Apple と Digital Reseach の係争を思い出しました。
